二条城と御所に挟まれた平安宮のなごり─待賢─
待賢(たいけん)学区は,東は堀川通,西は日暮通,北は下長者町通,南は竹屋町通に囲まれた地域です。ここは延暦13年(794)に平安京ができた頃,大内裏の東側に位置し,その門の一つ待賢門が現在の椹木町通大宮あたりにあったところから,「待賢」と称されるようになりました
江戸幕府が開かれた慶長6年(1601),待賢小学校のあたりに京都所司代が作られ,さらに慶長8年には上洛時の将軍の居城として二条城が造営され,その周囲に町家が建てられ,町が形成されていきました。