1から知る能狂言の魅力
    ~上京文化絵巻「能狂言と茂山千五郎家」~

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「お豆腐狂言」で有名な茂山千五郎家。その五代目茂山千作さんに、能楽の歴史から茂山千五郎家の歴史を振り返りつつ、能楽の面白さについて一からお話しいただく講演会「上京文化絵巻『能狂言と茂山千五郎家』」を、平成30年2月15日に上京区総合庁舎で聴講した。


前半は、能楽の歴史と茂山家の歴史についてお話しいただいた。能楽の起こりは中国で、奈良時代に神様に奉納するものとして猿楽が伝わった。起源から滑稽さを大事にするものだったそうだ。平安時代には、遷都に従って舞楽は京都に移るも、あまり上品ではないという認識だったためか猿楽だけは奈良に残された。室町時代には、結崎(ゆうざき)・外山(とび)・坂戸・円満井(えんまい)の四座、さらに観世流・宝生流・金剛流・金春(こんぱる)流・喜多流の五流に分かれた。戦国時代になると、秀吉や家康といった大名が保護する文化になっていった。そうした流れで武士のお抱えで流派や家元ができていき、それぞれに形式が厳しく決められるようになったという。

茂山家は、江戸時代には、天保の頃に藩お抱えとなるが、安政になると給料が払われなくなり失業してしまった。そこでなんとか生き残らねばならないと考えた千作さんのひいお祖父さんが考えた秘策が、狂言を市民に普及させるということである。そのため、宴会の余興や学校の講義など能楽堂以外のいろいろな場に出て上演したという。そうしたこれまでのしきたりからは考えられないような型破りなやり方に、周りの能楽関係者は非難の声を浴びせた。

世間からも、「どこでも使われるお豆腐のように、あの家はどこでも狂言をする」という意味で、「お豆腐狂言」と揶揄されていた。しかしそのような声にも屈せず、むしろ「ちゃんとしているならばどこでやってもいいじゃないか」という気概で、「お豆腐主義」として胸をはって頑張って続けてこられた。狂言は滑稽さが魅力なのであり、いつも面白さや楽しさを一番に考えてきたという。つまり狂言を第一に考えてきた結果生まれたのが「お豆腐狂言」である。それが先代から数えて五代目の千作さんにまで受け継がれている。


▲時々笑いを挟まれながら、お話に熱がこもる千作さん。

後半は、実際に舞台で使われる物や写真を提示しながら、お面や衣装など、能狂言を楽しむ上での魅力について解説してくださった。


▲茂山千五郎家に縁の深い「狐」の面

印象的だったのはお面である。全部で20種弱ものお面を紹介された中で、代表的なお面として、茂山千五郎家に縁の深い「狐」の面があった。その面は、古い狐が漁師に殺生をやめさせるため、漁師に化けて出てくるという「釣狐」という狂言で使われる。茂山千五郎家では、この狂言を成人式の時期に、一人前になるための通過儀礼として行う。狐の顎が動く独特なお面には、千作さんも思い入れが大きいということだ。他にも、神様になるための「翁」や女性を表す「乙」など個性的で面白いお面、また、それぞれの衣装の柄や能舞台後部にある鏡板に描かれた松の意味など、より能狂言を楽しんで見ることの出来るポイントをたくさんお教えいただいた。

最後に聴講者に大きなプレゼントがあった。上京区文化振興会会長、冷泉貴実子さんのお祖父さまが作られた謡曲「子の日」をその場で謡ってくださったのだ。マイクも必要なく、大きく朗々としたお声に、会場の全員が感動を持って聞き入っておられた。


▲迫力あるお声に会場が静まり返る。

その歴史を伺ってみても、道具や衣装を拝見しても、茂山千五郎家は能狂言において、観客をいかに楽しませるか、面白いと思わせるかということを第一に考えられているということがよく伝わった。本記事の読者の皆さんにも能狂言の魅力を味わい楽しんでほしいと思う。

レポーター

鳴橋杏里

京都教育大学に所属しています。京都に生まれ育つうちに、能狂言や茶道・伝統産業など京都の伝統的な文化や歴史に興味を持つようになり、お話を聞いたり博物館に足を運んだりしています。

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