上京区役所「避難所運営力向上講座」

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【第1回】パネルディスカッション~熊本地震派遣者の体験報告会

【第3回】阪神・淡路大震災を経験して~被災からまちの再建までの道程

地域の防災力・減災力向上に役立てていただくために、上京区役所が実施した「避難所運営力向上講座」の連続セミナーのうち、第1回と第3回を受講しました。

【第1回】パネルディスカッション~熊本地震派遣者の体験報告会

2016年4月16日に熊本地方に発生した大地震のため、多くの方が被災されました。 上京区においても、地震発生直後から、上京区役所職員から大学生まで、多くの立場の人が災害支援・災害ボランティア活動のために現地を訪れました。
10月5日に開催された講座では、実際に現地で活動された方々の実体験をお聞きし、地域の防災意識を向上させるための課題とヒントを得ることができました。

まず、区役所職員である西村上京保健センター長から、スライド映像を交えた現地の震災直後の様子と活動報告がありました。
上京保健センターからは、保健師、栄養士が、熊本市の東隣にある益城町にて支援活動を行いました。益城町は、人口34,499人の町で、14か所の避難所が設置され、被災者の方が生活をされていました。保健師は、その中の一つの避難所を中心に、被災者の方の健康に関する相談を実施し、栄養士は、避難所内で食中毒が生じないように食生活を管理したことが報告されました。

パネルディスカッションでは、区役所職員、上京区社会福祉協議会職員、同志社大学職員及び学生から、現地の様子や課題等の報告がありました。
熊本市内の避難所では、支援物資の把握と整理が重要となりました。例えば、十分な数がなかったブルーシートは、屋根の大きさに合せて支給するなどして数の調整を行いました。益城町の避難所においても、支援物資がたくさん届き、在庫管理が大変だったそうです。
食事の面については、事業者から提供される食事が、朝はおにぎり1個、昼は菓子パン2個、夕食は弁当一つと毎回同じメニューであったため、避難所生活が長くなるにつれて、食欲が落ちて残食率が増加してきたそうです。そこで避難所で食事の管理をしている栄養士は、提供事業者に対し、菓子パンを調理パンに変えてもらうように交渉し、残食率が改善されました。
保健師は、感染症や熱中症、高齢者の健康管理や不眠・不安等の訴えを傾聴する心のケアを行い、必要に応じて、医師の診察や関係機関につないだり、各家庭を訪問し、健康面の状態把握を行いました。
一方で、避難所では、情報が錯そうして、何が正しい情報であるかが判断できなかったり、本部の決定事項が各避難所にしっかりと伝わらなかったという課題も上げられました。区社会福祉協議会職員の方は、益城町民向けに復興に必要な資金の貸付相談窓口の開設に行ったものの、益城町の被害が甚大で使用できる建物がなく、益城町の隣町でしか相談窓口が開設できませんでした。このような環境下では相談がほとんどなく、益城町の被災者の方へ相談窓口の存在が十分に伝わっていないことを痛感されたそうです。また、福祉避難所が一般の方で溢れて、本来必要としている方が福祉避難所の存在を知らなかったりしたようです。連絡体制の確立が大変重要であることがうかがえました。
災害ボランティアの方と支援を必要とする被災者の方を結びつけるボランティアセンターで活動された同志社大学職員の方からは、多くのボランティアを必要とされている場所に送り出すことが大切で、ボランティアセンターとボランティアをつなぐスタッフが重要だと感じられたそうです。また、同志社大学学生の方は、震災後、数か月が経過した8月に訪れた時も瓦礫が多く残っており、継続した災害ボランティア活動の必要性を感じたそうです。

最後に、自らも熊本の被災地に足を運ばれた神戸大学名誉教授の室﨑先生から、コメントがありました。地震発生直後は、行政は何もしてくれないし、何かをさせてはいけないとのことです。今回の熊本地震では、益城町職員250人のうち150人が避難所運営に携わっていたため、本来、行政が被災時にしなければいけない業務が滞ってしまったとのことでした。つまり,避難所運営は、地元が行うものであり、地域が主体となった避難所運営の大切さをお話しされました。

【第3回】阪神・淡路大震災を経験して~被災からまちの再建までの道程(みちのり)

今から20年以上前の1995年1月17日の早朝、兵庫県南部で発生した大地震を神戸市で被災された崔(さい)さんから、地震前後の体験、まちを復興していく中で心掛けられたことについてお話がありました。
崔さんのご家族は、2階で就寝されていた崔さんほか2名の方は倒壊から免れたものの、成人式のために一時帰省され、1階で就寝されていた息子さんを建物の倒壊で亡くされました。非常に残念なことですが、建物の下敷きになった息子さんを救出するために、近所の方々が協力され、地震による火災が燃え広がってくる前に、瓦礫から外へ出すことができたそうです。

崔さんは、震災で一番怖いのは火災であると言います。崔さんが住んでおられた所は、最も火災の被害が顕著であったJR新長田駅の近くであったため、三日三晩燃えて、全財産をなくされました。特に、道幅が狭いと地震発生時に建物等の倒壊で進路が塞がれたり、火災の燃え広がりが起こり易く危険であるため、(同様の状況にある)上京区においても、注意していかなければならない点ではないかと御指摘がありました。
地震と火災で、崔さんの家の周辺は、夜になると真っ暗でした。崔さんは、明かりを灯すことで、復興を目指している住民の方の気持ちも明るくできると考え、まちに明かりを取り戻そうと尽力されました。まず、少しずつ再建されてきている住宅の前に防犯灯をつけることから始められ、そして、地域を代表して、行政と協議され、電柱にも外灯をつけることができました。

復興が進むにつれて、崔さんの地域では、8割以上の住民の方が、震災以降に新しく住み始めた20代~30代の方となり、崔さんは、地域のつながりを作っていくために、コミュニケーション手法に着目されました。具体的には、家族全体でつながっていけるように、親子で参加できる地域主催の「もちつき」や「焼肉」を定期的に開催し、もちつきは10回目、焼肉は12回目を数えるまでになりました。
日常においては、挨拶が有効な手段で、知らない人同士でも挨拶を続けることによって、顔見知りになり、知り合うことで、助け合えるようになるそうです。
一方で、地域の活動には、資金も必要となってくるため、町内会費だけではなく、アルミ缶や新聞紙等の資源物を集団回収することによる収入も確保してこられました。そして、得られた資金で、消火器を公園に配置し、防火バケツを各家庭に配布されました。
今も、震災時の火災被害を教訓として、地域の防災訓練では、最小限に被害を抑えるように、正しい消火器の使い方を学んでおられるそうです。様々な訓練に共通して言えることは、繰り返して行うことが大事であり、繰り返すことにより、いざという時に、訓練が生きてくるそうです。
また、「近所とのつながりによる共助」も大切ですが、意外にできていないのが「家族の中での共助」です。家族の中でも、定期的に、火の元の注意箇所、避難場所等を話し合うことも大切であるとのことです。阪神淡路大震災の火災原因として判明している中では、電気機器や配線に関係する火災が30%を占めていました。地震時の火災を防ぐためには、①使用中の機器類のスイッチを切る、②避難時に分電盤(ブレーカー)を遮断する、③地震後に機器を再使用する際にガス漏れや配線器具などの安全確認を行うことがポイントです。(神戸市消防局)
崔さんは、「被災するまでは、自治会に無関心だった。震災を通じて人の出会いがあり、意識が変わった。まちの結びつきが大切だと感じた。亡くなられた息子さんの分まで、頑張りたい。」とお話されていました。

今回の連続セミナーを受講して、①自分の身の安全を守る「自助」は、単に個人のためだけではなく、自らを守ることにより、家族や地域の方を助けることができる人になる「共助」の基本であること、②行政が実施する「公助」と周囲の人と助け合う「共助」の違いを理解して,災害に備えていかなければならないことについて、再認識しました。

(参考文献)
・神戸市消防局「地震による火災-その時あなたがとるべき行動は-」
http://www.city.kobe.lg.jp/safety/fire/information/anzen/201105.html(参照2017.1.27)

レポーター

上京区役所地域力推進室 山本

2016年度途中から市民しんぶん上京区版を担当。
かみぎゅうくん関連の企画で心を癒しつつ、日々の業務に勤しんでいます。

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