あなたは染織祭を御存知ですか?
染織祭は、昭和6年から26年までの20年間、毎年4月に市内で行われていたお祭りです。
祭には昭和8年から12年まで時代行列があり、当時の時代祭が支配階級の男性だけの時代行列であったことに対抗して(!)、上古時代から江戸時代後期の女性の衣装を復元した、女性だけの時代行列だったそうです。
その時代衣装は、時代考証がしっかりと行われ忠実に復元されただけでなく、当時の染織技術が惜しみなく使われています。
たった20年という短い期間に行われていた、ある種マボロシともいえるお祭り「染織祭」の時代衣装展が、上京区役所で開催された「応仁の乱~今輝け 東陣を訪ねて」で開催されていたので伺ってきました!
展示する衣装の時代は、今年が西陣呼称550年という記念すべき年にあわせて室町時代。
当時の衣装の形状は、動きやすいように袖が短い「小袖」と呼ばれる形状です。染織技術は、「辻が花染(つじがはなぞめ)」という絞り染で花柄などの模様を出した(絶対難しい)うえに、墨での描絵(かきえ)、金箔、刺繍などの装飾がなされたという相当手の込んだもの。色使いや文様などからは、当時の文化の豊かさが、染や装飾の技術からは、当時の手仕事の技術の高さが感じられます。
しかも、辻が花染は江戸時代に「友禅染」の技術が出てきたことなどの理由から、一度は途絶えてしまった技術です。マボロシの祭りにマボロシの技術。この衣装たちが貴重なものであることはもう間違いありません。
当時の衣装は、今のようにきっちりと着るのではなく、ゆったり羽織って紐で締めるだけでした。ハレの日にきものを着ることが中心になっている現代と違って、日常着として着られていたことがわかります。
せっかくですので、展示されていた衣装を何点かご紹介したいと思います。
① 「片身替花形格子文様小袖」
わたしが一番心惹かれたのは、繍物師の衣装。その名のとおり、片身ずつ色・柄・装飾が違うという、すごく大胆でおしゃれな一枚です。片側は、格子に刺繍、片側は花形文様に描き絵や匹田鹿の子などが使われています。当時、こんな素敵なきものを着ていたのか!と驚くと同時に、今でも着ることができそうなデザインです。
② 「段絞松皮菱花文様小袖」
学芸員の先生一押しはこちら。おしろい売りの衣装です。胴部分の2種類に染め分けられた絞り染めは、もう現在の技術ではできないのではないか、とおっしゃっておられました。裾の花文様も絞り染めで表現されています。どうしたらそんな染め方ができるのか、その技術に驚くばかりです。
当日、2度にわたって行われたギャラリートークは満員御礼。
当時の衣装やその技術へのみなさんの興味・関心の深さを感じられるものでした。
染織祭の衣装は、実際に着用されていたということもあり、劣化が著しいものもあるそうです。現在、これらの衣装を保存している公益社団法人京都染織文化協会が衣装のレプリカを作ろうとされています。でも、今の技術で復元するのが難しい衣装もあるのだとか。失われていく技術があることや失われた技術の復元がいかに難しいということを感じます。
きものは多くの工程・多くの人の手を経て作られており、手仕事の結晶ともいえる衣装です。現在では、デジタル化、機械化が進んでいる部分もありますが、いまだ人の手を要する過程も多くあります。
それでも当時の技術を復元するのが難しい部分があるという話を聞くと、きものの需要が減った(昭和50年代に比べて、現在の生産量や出荷額は10%以下です)ことによって、職人さんの技術が失われていっているのだなあ、とひしひし感じます。
仕事でも携わっているし、個人的にも大好きなきもの。
きものの美しさや手仕事の素晴らしさを、少しでも多くの人に知ってもらい、日常着だった時代まではいかないまでも、多くの方にきものを身近に感じてもらえるように頑張りたいなあと改めて思いました。
◆染織祭や社団法人京都染織文化協会について、詳しく知りたい方はこちらをどうぞ
http://www.fashion-kyoto.or.jp/orikyo/maturi/index00.htm
山本 恵果
京都まちづくりコーディネーターの会(京まちコ)メンバー。京都市職員で、伝統産業(主に染織分野)の振興を担当。伝統産業(きもの)とまちづくりをこよなく愛する。
区役所でのまちづくり経験から、市民との垣根を越えたまちづくりに行政職員としての醍醐味を見出し、行政の仕事は人を幸せにできる仕事であること、また、職員がいきいきと仕事ができれば、まちは絶対よくなるという確信を持ち、「公務員モテる化計画」を有志で結成。公務員がモテるための取組を行っている。