同志社大学新町キャンパスのすぐ北、新町通沿いにbe京都さんはあります。200年以上の歴史がある京町家の雰囲気を残したまま、レンタルギャラリーやスペースに改装された建物です。ギャラリースペースを生かしてアーティストさんの応援をされている一方で、大人から小人までの体験型の学びも重視しています。今回は上京区140周年を記念した事業として、「上京の通りを学ぶストリートストーリー」というイベント(平成31年3月17日)を開催されたので参加してきました。
京都のまち歩きや書籍の出版、イベントの企画をされている、株式会社らくたびの山村純也さんが講師です。当初は通りを14本選んでお話しされるつもりだったそうですが、選びきれないということでの16本。それでも1時間30分ではまだまだ話し足りない様子です。断腸の思いで切ったエピソードもあったとか。16本は5つのテーマ「歴史をずっしり体感!」(上御霊前通、寺之内通、室町通、新町通)、「伝承・伝説が残る!」(上立売通、一条通、出水通)、「暮らしを感じよう!」(下立売通、丸太町通、大宮通、千本通)、「文化の深さを堪能!」(小川通、寺町通、中立売通)、「観光の魅力が凝縮!」(今出川通、烏丸通)に分けられ、それぞれの視点に絞ってお話しされました。
来場者は京都市や上京区に在住する方が多いようでしたが、山村さんによると、昨今京都観光を楽しむ日本人の傾向として、有名観光地ではなく京都人の生活・文化が垣間見られるところに興味があり、通りを歩くまち歩きが非常に人気だそうです。そういった生活に密接にかかわるお店の背景や、地域との関係性を山村さんがお話しされることにより、参加者は興味を非常に持たれるのだそうです。実際のまち歩きでは、地域ならではのお料理屋さん、お漬物屋さんなどでの買い物は、参加者にとってまち歩きの醍醐味になっています。この日も、上京の町中でよく見られる飴屋さんについて山村さんが説明されました。西陣の職人さんたちが埃っぽい中で作業するという事で飴が重宝がられ、「痰きり飴」といわれているのだとか。上京では街中のあちこちに飴屋さんが見られますが、こういった事情だったのですね。
通りのお話しの一例をご紹介しましょう。上御霊前通は「応仁の乱~戦国時代 戦乱の跡を辿る」という副題です。上御霊前通(東西の通り)は、御霊神社(通称、上御霊神社)の前(西)がスタートです。
※こちらの地図を御覧になりながら、下記を読んでみてください。
https://www.city.kyoto.lg.jp/kamigyo/cmsfiles/contents/0000012/12734/01_map.pdf
上御霊神社は、応仁の乱勃発の地としても知られ、社内には応仁の乱に関する石碑、説明板も設置されました。
神社前(西)には、応仁の乱終了後間もなくの文明9年に創業された水田玉雲堂があり、今も変わらぬ素朴な味の「唐板」が、地元の人々に愛されています。
西へ行くと、料理屋の畑かくさんがあります。創業は大正7年で、田舎料理の猪鍋をもとにイノシシ肉を牡丹の花のようにお皿に並べる「牡丹鍋」のを考案された元祖のお店です。観光情報ではなかなかこのような話は出てきませんが、お店を目の前にこのようなお話しを聞くと、本当にお店に寄って食事したくなりますね。
西に進むと、立派な京町家の生谷家住宅があります。京町家は年々減少し、このままでは京都の風情を味わえない町並みになりかねないと危惧されていますが、やはり、まち歩きを望まれる観光客にとって、生谷家住宅さんのような重厚な京町家は目を見張るものがあります。
西に進むと大きな敷地の妙覚寺があります。西陣付近は日蓮宗のお寺が多いのですが、妙覚寺も日蓮宗の本山で、密かに桜の名所でもあります。織田信長との関係が深く、豊臣秀吉により現在の場所に移転されました。織田信長が上杉謙信に贈ったとされる洛中洛外図屏風では、妙覚寺など日蓮宗寺院が大きく描かれているのですが、作者の狩野永徳が日蓮宗徒であったためという説もあります。
西へ行き、堀川通を渡ると臨済宗興聖寺があります。茶人古田織部の懇請により開かれたお寺で、江戸時代に独特の画風で知られる曽我蕭白の墓があるそうです。
そして、御霊前通は櫟谷七野(いちいだにななの)神社の前を過ぎて智恵光院通で終わります。櫟谷七野神社は、賀茂の斎院跡に建てられた神社ですが、日本で唯一の縁戻しを祈願する神社でも有名です。
上御霊前通は割と短い通りではありますが、それでもこれだけの見所があり、しかも応仁の乱から戦国時代というテーマに絞らなければ、さらに多くの見所があることでしょう。このように16本分の情報をお話しいただけて、何度もまち歩きをしたような気分になれた講座でした。
be京都さんでは、古い写真や古い道具を写真で記録するなど、上京を物語るデータを共有の財産とし100年先にも残したいという想いから、デジタルアーカイブのプロジェクトを進めています。今回の「上京の通りを学ぶストリートストーリー」は、今(平成30年度)の上京区を記録するという目的で、山村さんがイベントで選択した縦の通り7本、横の通り9本の合計16本を映像データ化しました。手法は試行錯誤された結果、自転車にデジタルビデオカメラを取り付けて走るというものです。be京都では16倍速の映像で編集されていました。
上京区は、京町家や路地、寺社仏閣が集積し歴史的な景観が残るまちです。しかし、いざ撮影をしてみると空き家が多く、おそらく元は町家があったのではないか、という建物の壊された後の風景に出くわします。
まちの風景は、破壊と建設で日々変わっており、以前の様子が思い出せないという事も多いのではないでしょうか。岡元さんは、100年後これらの通りはどうなっているのだろう、という不安がありました。その一方で、上京では地域が協力し、町家のリノベーションや活用を盛んにおこなわれている風景に出くわすこともあり、町家を根本から壊してしまうのではなく、文化や伝統とともに守り継承するまちの風景や、暮らし方に生活美、強さと気品を感じたそうです。上京の風景をデジタルデータで残すという壮大なプロジェクトは、未来の人達に想いを届けるため今後も続けられます。
今日ある風景は明日にはもうないかもかもしれない、という不安はぬぐえませんが、1200年以上このまちは栄枯、戦乱を乗り越え続いてきました。戦国時代の風景は洛中洛外図屏風等で、現在も一部見ることができるように、「平成30年」を切り取ったデジタルデータは20年後、100年後には当時を知る資料として重宝されるに違いありません。be京都の取組みは、想いを後世につなぐことを目的にし、まちの変容への対処という意味で、正にしなやかな力~レジリエンス※~であると感じました。
※レジリエンスとは色々な意味を含みますが、京都市が考えるレジリエンスについてはコチラを参考ください。→『概要版 京都市レジリエンス戦略』
https://www.city.kyoto.lg.jp/sogo/cmsfiles/contents/0000250/250010/shiryou4.pdf
上京区の通りの歴史についてお知りになりたい方は、上京区文化振興会発行の『上京-史蹟と文化』の第19号~48号に、「上京の大路小路」というシリーズがありますので、ご一読ください。『上京-史蹟と文化』はコチラ⇓からPDF版でご覧いただけます。
https://www.city.kyoto.lg.jp/kamigyo/page/0000083714.html
松井 朋子(まつい ともこ)
京都市まちづくりアドバイザー。上京区内をうろうろ歩く日々の中で、空き地を見るたびに悲しい気持ちになる一方、以前の建物が思い出せない記憶のあいまいさに愕然としている。