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地域にとってお祭りとは
~今年54年ぶりに神幸祭が復活した御靈祭・御靈神社の禰宜さんと京極神輿会の相談役に聞く~

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▲上京区の北東に鎮座する御靈神社。

毎年5月に行われる御靈神社の「御靈祭」。1100年以上の歴史を誇る御靈祭は、もともとは5月1日に神幸祭で御神輿を神社から御旅所に渡御し、18日に再び御神輿を神社に還御するお祭りで、明治の初めに御旅所がなくなった後も2回の巡幸が行われていましたが、昭和40年を最後に神幸祭が途絶えていました。
現在は例年5月18日の還幸祭で御神輿などの行列が氏子区域を巡幸しますが、今年、令和元年は54年ぶりに5月1日の神幸祭での巡幸が復活しました。
また、今年は御靈祭の3基の御神輿のうちの一つ、北之御座「今出川口」の御神輿が後水尾天皇により御下賜されてちょうど400年にあたる記念すべき年でもありました。

そこで今回は、長年御靈祭、そして今出川口の御神輿に関わってこられた大川眞さんと、御靈神社の禰宜を務める小栗栖憲英さんにお話を伺いました。

大きな危機をきっかけに発足した神輿会

大川さんは北之御座を奉舁(ほうよ=担ぐ)する京極神輿会の会長を平成25年まで11年間にわたり務められた後、現在は神輿会の相談役を務めるとともに、御靈神社の氏子総代も務めておられます。
今出川口の御神輿は現在では、15名ほどの女性会の方(女性は昔からのしきたりで御神輿は担げないが、準備や巡幸当日の食事の世話など様々なところで尽力をしてくださる。)青年会30名程を含め、100名近くの神輿会員と様々な神輿会からの応援や地域の方の協力で、300人近い人数が巡幸に関わっておられますが、今から33年前の昭和61年には、資金や人員が不足して御神輿を出すことができなかった年がありました。

当時出町地域には神輿会という組織はなく、地域団体や商店街が資金を出したり運営の手伝いをしたりという形で御神輿が巡幸されていました。しかし、街を活性化し、賑わいをつくるお祭りに御神輿を出せなかったという事態を受け、地元の商店街が中心となり、昭和62年に御神輿を運営するための組織「京極神輿会」が発足しました。
当時商店街の青年会に所属していた大川さんは発足時から神輿会のメンバーに名を連ねておられます。


▲祭の采配でにらみを利かせる大川さん。

地道な地域活動、そして悲願を次々と実現

神輿会が発足した後も、当初は人数が不足しました。御神輿を神社の蔵から出す際にも自分達だけではできずに、他の2基(小山郷、末廣)の神輿会に手伝ってもらったり、巡幸の際も現在の3分の1程度の人数しか集まらず、主要な役割は外部の神輿会から手伝いに来てもらった方に担ってもらっていたそうです。今では神輿巡幸の大きな見せ場となっている河原町今出川交差点での辻回しも当初は人数不足でできませんでした。
御靈祭にかかわる3つの神輿会の中でも、後からできたため一番立場も弱かった京極神輿会でしたが、神輿の歴史を学んだり技術を習ったりし徐々に自前で担げる体制ができ、御神酒集めや幟立てなどの準備もしっかりとできるようになり、地域では七夕祭・体育祭・文化祭に参加するなど、今では神社、そして地域にとってなくてはならない神輿会になりました。

平成25年には担ぐ際に御神輿を支える轅(ながえ)を約100年ぶりに新調、平成28年には当時の天皇皇后両陛下が来場された京都国際会館での学会に御神輿を展示して両陛下にご覧いただきました。今年は400年祭を迎え、京極神輿会の地元である河原町今出川の交差点で例年は1基で辻回しをしているところを3基揃って行うなど、次々と悲願を実現してきています。
10年前の平成21年からは還幸祭で3基の御神輿が約150年ぶりに京都御苑に入るようになりましたが、この際にも大川さんが大きく尽力されています。


▲河原町今出川交差点における圧巻の3基同時差し上げ!

54年ぶりの神幸祭復活へ

このように10年前の京都御苑巡幸復活以降、今出川口だけでなく他の2基の御神輿もそれぞれ約100年ぶりに轅を新調するなど、御靈祭全体が盛り上がる中で、2019年の今出川口400周年に向け、会内部で3~4年前から何をしようか意見交換がなされました。その中で、宮司さんの長年の思いもあり、神幸祭を復活させたいという話が出たそうです。

そんな時、同じ2019年に天皇陛下が譲位されるという報道があり、さらに昨年になって偶然にも神幸祭当日である5月1日が即位の日に決定します。
しかし、そうなったことで小栗栖さんは警備の関係などもあって即位当日にお祭りを行うのは非常に困難だと思ったそうです。それでも宮司さんはこのようなタイミングは二度とないということで、できるかどうかは分からなくても一応、警察や関係省庁に打診をし、同じ日の巡幸を計画していた下御霊神社とともに関係省庁との打ち合わせを進めました。
一方、大川さんら神輿会は人を集め、そして資金は神社と氏子総代会、そして氏子の皆さまにご寄付をお願いすることになり、今年の2月、関係省庁からの了解を得てついに神輿が5月1日に京都御苑へ巡幸することが決定します。

小栗栖さん曰く、「複数の要因が絡み合い、そして神社の御祭神が導いてくださったように感じました」。そして、令和元年5月1日、御靈祭の神幸祭は54年ぶりに復活を果たしました。そして天皇陛下が即位されたその日に、かつて皇室の住まいがあった京都御苑に3基の神輿が入りました。


▲御靈神社3基の壮観たる京都御苑巡幸。

まだまだ次の夢の実現へ向かう大川さん

大川さんは神幸祭の復活について、2回(神幸祭と還幸祭)御神輿を出せて、たくさんの方に応援してもらえて立派にお祭りができて嬉しかったそうです。
また今後について伺うと、今までやりたいことを全部実現してきた(御苑巡幸、轅の新調、天皇陛下に御神輿をご覧いただく、400年祭、神幸祭復活)ので、次の夢は御旅所の復活と、今は土で埋まってしまっている神社の境内の小川に再び水を流すことだと熱く語ってくださいました。


▲御霊祭の未来の夢を語りあい、盛り上がる取材風景。

一度途絶えた神事が復活できた社会背景。きっかけは東日本大震災

一方、今の関係者で誰も経験した人がいない神幸祭、そして同じく誰もが初めて経験する天皇陛下の譲位という中でのお祭りの開催について、無事に終わるまでは実現した嬉しさよりも心配や不安が大きかったという小栗栖さんは、1日に巡幸を行うことによって、翌日から夢の余韻のようなものが残り、18日の2回目の巡幸で完結するまでの18日間が特別な時間になるという初めての感覚を味わい、気持ちのいい体験だったといいます。
そして、お祭りに興味を持ってくださり、また協力してくださる方々のおかげでこのようなことが実現できたと感謝する小栗栖さんは、今回のことが実現に至った背景として、地域の人々と神社とのかかわりが強くなってきたと感じておられ、それは平成23年の東日本大震災をきっかけに人々の考えが変わってきたことが関係しているのではないかと考えておられます。

神幸祭が途絶えた昭和40年頃の日本は高度経済成長期。当時の日本は右肩上がりで、みんながお金を稼ぎ、車、旅行、ブランドなどに目を向けていた時代でした。やがてバブルが崩壊しますが、その後も人々のそういった興味は薄れることなく続いていきました。

その時代、神社のお祭りのような儀式を人々は必要とせず、神幸祭は途絶えてしまいました。
しかしお金の力ではどうすることもできない大災害を経験したことで、今までは社会の中で労働してお金を得て、そのお金でものを買って消費をして幸せを得られると思っていた、つまり幸せを得るためには社会的な立場が大切だと思っていた人々が、そうではなく、自分個人として、社会的な立場を脱ぎ捨てて自由な顔で過ごせる場所、集まれるコミュニティに幸せを求めるようになったのではないか。そしてその場所やコミュニティというのは公園や川、山などの自然の領域であったり、神社のお祭りなどの社会的な立場に関係なく人が集まれる場であり、そのような背景があって、お祭りに賛同して一緒に協力してくれる人が増えてきたのではないかと、小栗栖さんは考えておられます。


生きるパワーを充填する。それがお祭りの本義

御靈神社には早良親王をはじめとする八柱の神様が祀られていますが、それだけではなくて、氏子区域で生まれた方の命は氏神様からもらったもので、亡くなられた後はまた魂が氏神様に帰ると小栗栖さんは仰います。つまり氏子さんの祖先の魂は神社にいて、神社の神様は地域の人々の祖先の集合体でもあるのです。そしてお祭りの時には御神輿に乗って会いに来られるのです。
私たちは社会の中でいろいろな出来事に遭遇し、うまくいかないこともある中で何とかよりよく生きていきたいと思って生活しています。そういったものを発散させる場がお祭りの18日間で、この間は祖先の魂と交流することで生と死の境がなくなり、また社会性を脱ぎ捨ててお祭りにかかわることで、社会的な立場とは関係なく人との縁が生まれたりします。その経験を一通りしてみると、日常の見え方が劇的に変わってきて、今までうまくいかないと思っていたものが腑に落ちたりする、そういう力がお祭りにはあると小栗栖さんは仰います。

最後に小栗栖さんは、氏子さんが神様に会い、生きるパワーが充填できるというお祭りの本義を、これからも変わることなく続け、そして少しずつでも昔のやり方に戻せるものは戻しながら、未来に伝え、繋げていきたいと語ってくださいました。


大川さん、小栗栖さんのお話を伺って

私は幼少の頃から出町商店街の界隈で毎年5月18日のお祭りをみてきました。そして大人になってから地域とのご縁で、昔から身近に感じていた今出川口の御神輿に担ぎ手として参加させていただくようになり、今年で4年目になります。そんな折、今回大川さんと小栗栖さんにお話を伺う機会をいただきました。
私自身、幼少の頃から出町商店街には親と一緒に幾度となく足を運び、様々な想い出がありますが、それでも出町と聞くと真っ先に思い浮かべるのは昔も今も、年に一日しかない5月18日のお祭りの光景です。そして自分と出町の人々との繋がりを考えたときに、お祭りがとても大きな存在を果たしていることに気付きます。

子供の頃は日々の学校生活の中で、その日は学校から飛んで帰ってきてお祭りをみていました。大人になった今は、お祭りが近づいてくると、仕事が忙しくてもなんとかその日だけはお祭りに関わって、その一日だけはお祭りのことだけを考えていたいという思いになります。これが小栗栖さんの仰る、生きるパワーを充填するということなのかなと感じています。
そして、社会的な立場に関係なく縁で集まった人々のパワー。それも身近にすごく感じています。大川さんをはじめとした神輿会やお祭りにかかわる方々が、ただやりたい!という気持ちで次々と新しいことを実現してこられました。勿論一人だけがやりたいと思っても実現することではないので、やりたい!という気持ちを持った人たちが集まったパワーのすごさを、今回のお話を伺ってあらためて感じるとともに、これがお祭りというものなんだなと感じています。
そしてこれからも昔の姿を復活させて、未来に伝えていきたいという、大川さん、小栗栖さんの想いは、縁の力で、そして地域の人々が拠りどころにしている御祭神、祖先の導きでこれからも繋いでいくことができるだろうと確信しました。
私自身も、地域住民として、担ぎ手の一人として、そして「まいまい京都」御靈祭コースの担当ガイドとして、一人でも多くの人に御靈祭の素晴らしさを伝え、未来につないでいく力に少しでもなりたいと思いました。

レポーター

南 知明

出町近辺で生まれ育ち、現在は京都ミニツアー「まいまい京都」で出町商店街の食べ歩きコースや御靈祭見学コースを担当するほか、出町界隈の地域活動に関わっている。
また2016年からは今出川口神輿の担ぎ手として御靈祭にも参加している。

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