・・・
主 催:京の暮らしの文化普及啓発実行委員会、上京ふれあいネット運営協議会
協 力:いけばな嵯峨御流 石川利佳甫、京人形司大橋弌峰、国定織物株式会社、手織り工房織り日和、テラヲ貸物店、ハンドメイド299屋、be京都
本事業は、令和3年度 文化庁文化芸術振興補助金(地域文化財総合活用推進事業)の助成を受けて実施する「京都の地域文化財総合活用推進事業」の一部です。
・・・
9月9日は、五節句のうちのひとつ「重陽(ちょうよう)の節句」。
五節句は、同じ奇数が重なる5つの日のこと。古来、陽(奇数)が重なると陰が生ずるとされ、節句の日には邪気祓いの行事が行われてきました。一月のみ七日ですが、一月七日(人日)、三月三日(上巳)、五月五日(端午)、七月七日(七夕)、九月九日(重陽)を言います。
重陽の節句は、「菊の節句」「重九(ちょうく)の節句」「九月節句」「栗の節句」とも呼ばれています。
菊の成分を含んだ水を飲み不老不死となった「菊慈童(きくじどう)伝説」をはじめ、中国の故事から、菊は優れた薬効成分がある延命長寿の植物として知られていました。それが日本に伝わり、平安時代の宮中では、「菊花の宴」が催され、菊酒を飲み、茱萸袋(しゅふぶくろ)を飾り、菊に綿をかぶせる「着せ綿(きせわた)」を楽しみ、延命長寿を祈ったそうです。
・・・・・・・・・
展示内容をご紹介します。
重陽の前日に菊の花に真綿をかぶせ、菊の香や夜露を移し、この綿で顔や身体を拭うと不老長寿を保つといわれました。着せ綿は「源氏物語」「枕草子」「紫式部日記」の書物に年中行事として触れられており、長寿に加えて美への効用を願った宮中の女性たちの様子がうかがえます。
また、「後水尾院当時年中行事」には一人が白三輪、赤三輪、黄三輪の計九輪に綿をきせ、その上に‘しべ’のように白には黄、赤には白、黄には赤の小綿をのせると書かれています。
また、庶民は白い大きな綿を小菊等にかけて、皆で分け合いました。
それほど真綿は貴重だったのでしょう。
今回の展示では、草木染をされている手織り工房織り日和の小林礼さんのご協力を得て、真綿を草木染しました。会場では触れられなかったその点もご紹介いたします。
綿の素材については、着せ綿に使用された綿は平安時代という時代性から、蚕の繊維を引き延ばした真綿が使われていたと考えられ、シート状の真綿を色毎に分けて染色作業を行いました。(木綿が日本に伝わったのは鎌倉初期)
色合いについては主に白、黄色、赤、もしくはピンク系の色とされていたことから、宮中での行事を描いた絵にならい、黄色、桜色の様な淡い色合いに染めることにしました。
染める前にはいずれの真綿も精錬(せいれん)という、素材の余分な物を洗い流す下準備をしました。白については精錬のみの作業としました。
文献を調べましたが、残念ながら染料についての記録は見かけられなかったので、黄色は梔子(くちなし)、ピンク色はインド茜で染めることに。
梔子は染液にミョウバンを溶かした液を合わせて2回染め、鮮やかな黄色になりました。
茜は染料の分量を通常の染色よりも少なくし、真綿を染める前に木綿糸を染めることで染液の濃さを調整しました。さらに、思い描く色調を再現するため実験を繰り返し、チタン媒染でやや青みがかった色合いになるよう染めました。
手探りの部分もありましたが、平安の時代に思いをはせ、良い染めになったと思います。
小林さんからは、「真綿の繊維は水を含むと縮みやすく、また絡まりやすくもなるので、形を保ちながら染色作業することが難しかったです。なるべく真綿が液の中で全体的に動くように、また、乾かす時も広げて形を整えるように工夫しました。真綿は複雑に繊維が合わさっていて作業をするうえで難しさもありましたが、しっかりと発色していて安心しました。
絹という動物性の素材ならではの特徴だと感じます。歴史もすごく好きなので、こうした企画に携わることができとても貴重な経験となりました。」とお言葉をいただきました。
そして、これらを分けていき丸くまとめ、しべを乗せました。真綿はとても柔らかく、温かみがあります。
『周の穆王(ぼくおう)に仕えていた侍童(じどう)が、王の枕をまたいだ罪で酈縣山(れっけんざん)に流されてしまいます。ところが悪気がないことを知り、哀れに思った王から、枕に書いた「二句の偈(げ)(仏典の詩)」を与えられます。侍童はそれを、山中の川のほとりに咲く菊の葉に写して書きました。
すると、その菊の露が霊薬となり、その露の流れた川の水を飲んでいた侍童は700年後(太平記では800年後)まで若々しくそのままの姿でおりました。』
という、菊のパワーを物語る古代中国の説話です。
謡曲で広まり、観世流では「菊慈童」、他流では「枕慈童(まくらじどう)」と呼ばれ、今も舞われています。祇園祭の「菊水鉾」もこのお話が元となっています。
「茱萸嚢(しゅゆぶくろ)」は 延年の効力があるといわれる「呉茱萸(ごしゅゆ)」の実を袋に入れたものです。九月九日に「茱萸嚢(しゅゆぶくろ)」を持ち登高(とうこう)(高い山に登る)して「菊酒」を飲んだところ災いが消えたという「桓景(かんけい)」の故事が中国より伝わりました。
菊は邪気を祓い延命長寿の霊力のある花とされ、宮中では「茱萸嚢」が御簾(みす)や御帳(みちょう)に掛けられました。
日本には「呉茱萸」が無かったため、「山茱萸(さんしゅゆ)」や「茱萸(ぐみ)」が飾りに用いられました。
そのため、「ぐみぶくろ」とも呼ばれます。
中国では菊の花、葉、茎を黍(きび)や米と混ぜて醸造酒としてつくられていましたが、日本では菊の花を浸して飲みます。黄菊が本式とされています。
季節感を大切にする和菓子の世界でも、伝統の意匠として残っています。
こなしや練切りで菊花を作り、白の薯蕷をきんとんに仕立て綿に見立てました。
秋の収穫を祝い蒸し栗、栗ごはんなどを食べたり、親しい人に贈ったりした。
西陣織の中でも菊の文様は多数あるそうです。展示では、「柳に菊」「菱に菊 (菊の宴)」「菊流水」「菊間垣」の4作品が並びました。
『ももとせびな』と読みます。ともに白髪となったおめでたい人形。江戸時代から健康と長寿を祝う人形とされてきました。現在は還暦や米寿のお祝いとして喜ばれるだけでなく、「後の雛(のちのひな)」という風習でも飾られます。
「後の雛」とは、桃の節句(雛祭り)で飾った雛人形を、半年後の重陽の節句で虫干しを兼ねて再び飾り、不老長寿、厄除けなどを願う風習で、江戸時代に庶民の間に広がったといわれています。
『おうちでも重陽の節句を楽しもう!』と題し、手作りキットが無料配布されました。とても好評で、持ち帰られた方が各々アレンジをしてSNSなどにUPしておられた様子も印象的でした。
・・・・・
明治維新後、旧暦から新暦に変わり9月9日は菊の開花の時期との関係から、重陽の節句が一般で楽しまれることは少なくなりましたが、京都では寺社や地域で今も受け継がれています。
暮らしの文化の継承につなげ、溢れる菊の香りで、皆様方の無病息災、健康長寿をお祈りすることができたのではと思います。
岡元麻有
京町家のギャラリーを企画・運営しております。上京区の魅力発信のため、コーディネートをさせていただけ、嬉しく思います。地域の方が地域の良さを知り、大切にしていければ良いと思います。継続して続けていきたいです。