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西陣の若き職人の挑戦〜佐々木能衣装 筒井 謙丞さん〜

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▲今回取材させて頂いた株式会社佐々木能衣装の筒井謙丞さん。仕事上のこだわり等、様々なお話をうかがいました。

「ガッシャンガッシャンガッシャン・・・・」こんな機織りの音が、つい20~30年前の西陣には響き渡っていたと聞きます。しかし、いつしかそんな音も聞こえなくなり今では何の音も聞こえないのが日常になっています。今回はこういった現状においても昔ながらの伝統的技法を用い、京都で能衣装を唯一専門に扱う株式会社佐々木能衣装にお邪魔しました。取材したのは佐々木能衣装の職人の中で最も年齢が若く経済産業大臣指定伝統工芸品 西陣織製造部門の伝統工芸士である筒井謙丞さんです。 筒井さんはこの度、技術が優れ意欲ある若手職人として京都府から「京もの認定工芸士」を授与されました。

―西陣織の職人になったきっかけ―

佐々木能衣装の他の職人と比べて一回りも二回りも若い筒井さんが、佐々木能衣装で働くことになったきっかけを軽やかに語ってくれました。

「佐々木能衣装の社長と僕の叔母が同級生で、叔母から工房の見学に行かないかという話をもらい、ちょうど仕事終わりで時間もあったので見に来ました。僕自身がこの西陣で育って、機の音は聞いたことはあったけど、実際の機織りの風景を見たことがなかったので見てみたいというのもありました。あと、当時内装の仕事をしており、クロス(布)を取り扱っていたことと、町家にすごく興味があった(佐々能衣装は伝統的な町家)ので、仕事につながるかもしれないと思ったのもあります。」

話しの通り、筒井さんは西陣織の職人の家系ではありません。前は内装のクロスを貼る仕事をしていました。とても器用で、当時の親方にも認められるぐらいの腕前があり、筒井さん自身も、内装工としてずっとやっていくつもりでした。しかし、この何気ない見学が筒井さんの人生を大きく変えたのです。

「工房に入った瞬間に“バァッー”と全身に鳥肌が立ちました。その瞬間に、この仕事をしたい、と思い、その次の日には内装でお世話になっていた親方に、やりたいことができたと伝え、仕事を辞めました。そして、佐々木能衣装の社長に、仕事をさせてください、とすぐに伝え、運よく就職することになりました。新たな職人の世界に入ることに迷いや不安は全くなかったです。」

「妻は、私が内装工になって1年位経ち、給料も安定した頃で、さらに子供も生まれた時だったので、ちょっと不安だったみたいです。でも母に相談すると、先祖が丹後ちりめんを作っていた人だと教えてくれて、<だから向いているんとちがう?>と言われたのに背中を押されました。」

筒井さんのとても思い切った行動を聞き、私たちレポーターは非常に驚きました。しかし、この後筒井さんのバックグラウンドが深く関係していることを知り、鳥肌がたったこと、新たな世界の職人になることに迷いや不安がなかったことについて、納得しました。

おばあちゃん子であった筒井さんは、洋裁屋の祖母の家で育ちました。その時にミシンを教えてもらい、小学校高学年次には自分でジーパンを作っていました。この頃から、糸に触れること、モノを作ることが好きになったそうです。16歳で服屋の店員をし、スタイリストになることが夢だったので、18歳の時に服飾関係の専門学校に進学しました。筒井さんいわく、それまでの経験があったからこそ、佐々木能衣装の工房の中に入って機を見た瞬間に、「これは自分にしかできないものを作ることができるかもしれない」と思って鳥肌が立ったのです。
さらに小学生の時に、祖父と色々な国に行った経験があり、そこで多様な文化に触れる中で、逆に日本で仕事をしたいと強く思うようになり、それが職人として働く今に繋がったようです。

今回のレポーターの一人は、海外への強い憧れから、スペインやイタリアへ旅行をし、日本とは全く違う文化に触れることで、日本を客観視するようになり、日本の文化や伝統を素晴らしいと感じられるようになったことを思い出し、筒井さんのお話を聞いた時に深く共感しました。

―職人のイメージ―

ところで職人と聞いて、皆さんはどのようなイメージを持つでしょうか。厳しい、気難しい、そんな言葉を思い浮かべる人が多いかもしれません。実際、筒井さんもトイレ掃除から始める覚悟で入社したそうです。しかし、実際は想像と全く違っていました。
「職人の世界は見て覚えろ。」とよく言われますが、先輩に何を聞いても教えてくれるし、困っていたら手伝ってくれるし、筒井さんにとってすごく良い環境でした。
多くの経験を積んで早く仕事を覚えたかった筒井さんでしたが、筒井さんは会社員なので就業時間と可能な残業時間が決められています。だから残業したくても帰らないといけないこともあり,先輩から最初に怒られ言われたのが「早よ帰り」だったようです。 レポーターの所感ですが、西陣織の職人が会社員という形態は珍しいのではないでしょうか。職人は師匠に弟子入りをして技を習い、弟子入り期間中は給料が出ないのが一般的なスタイルだと思っていましたが、筒井さんは初めから給料をもらっていました。想像以上に働きやすそうな職場で、私たちのイメージする職人が単なる思い込みだとわかりました。


▲織物の紋様や配色の意味について語る筒井さん

▲実際に手織りの現場も見せていただきました

―筒井さんのこだわり―

能衣装というのは、職人が配色を考えます。能楽には舞台装置が少ないので、衣装の色や紋様が役者の役柄や感情を表すことになります。そのため、筒井さんは、能楽のことはもちろん配色等についても勉強されています。
また、佐々木能衣装では時間がかかっても手織りで制作しています。機械で織ると確かに早く織れるし、より細かい紋様を織ることができます。しかし、機械だと少しの範囲を織るだけで大量の糸を使うことになってしまいます。そうすると必然的に衣装も重くなります。その点、手織りでは紋様の一か所ずつ丁寧に織っていくので、余計な糸を使うことがありません。だから、織りあがった時の衣装の重さは機械織りとは比べ物にならないほど軽いのです。筒井さんが能衣装の軽さにこだわるのは、筒井さん自身が実際に能衣装を着る機会があり、その重さに驚いたからだそうです。ただでさえ普通の着物の約2倍の重さがあるといわれる能衣装ですが、その衣装を着て役者さんたちは舞台上で舞います。 だから、衣装の軽さを追及するのは当たり前のことだと考えたのです。
衣装屋さんとは、役者や業者が望むデザインの衣装を織っているだけだと私たちレポーターは思っていました。しかし実際は、衣装を織っている職人さん自身のこだわりや熱い思いが詰まっていることがよくわかりました。

―やりがいを感じる瞬間について―

筒井さんが作った衣装を、実際に役者が着て舞台で舞っているのを観る時、やりがいを感じるそうです。また、能衣装自体が300年後まで残るといわれており、それゆえに300年後も残るものを作らないといけない、という使命感も魅力の一つだそうです。


▲木製ジャガードの動かし方の説明を受けるレポーター

▲筒井さんが作成した手織りの西陣織蝶ネクタイの数々

―筒井さんの今後―

筒井さんは能衣装を作成する以外に、手織りの西陣織を使って、ミシンで蝶ネクタイやトートバックなどを作成しています。小さい頃の祖父との海外旅行や祖母にミシンを教えて貰った経験、服飾関係の仕事、内装の仕事、佐々木能衣装の工房見学に来た時に鳥肌が立ったことなど、一つひとつの出来事がすべて現在の作品作りにつながったと言います。私たちは、筒井さんの様々な経験が、柔軟な発想での作品作りを追求する探究心となり、これからも素晴らしいものを産み出されつづけるのではないかと感じました。


▲写真左から小野、重村、
岡田、西村先生

レポーター

同志社大学経済学部西村ゼミ3回生 岡田才我
私たちは「京都における職人企業と職人の研究を通してみる、地域活性化の課題と方法」というテーマのもと、西陣地域を対象に研究しています。 西陣の温かい人たちの協力もあり、日々楽しく学ばせてもらっています。 趣味はスイーツ巡りとレコード収集です。

同志社大学経済学部西村ゼミ3回生 小野泰寛
普段は、体育会の準硬式野球部で活動しています。大学のゼミ活動の中では、西陣織の金糸を製造している職人さんから学び始め、その後は西陣織全体へ広げて取材するなど、日々勉強しています。

同志社大学経済学部西村ゼミ3回生 重村吉希
最近はゴルフに挑戦していて、いいスコアを出すためにスイングの軌道やアプローチを日々研究しています。

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