江戸時代、生糸や織物問屋が立ち並び、1日千両の商いで賑わった千両ヶ辻。今出川大宮のバス停から南に5分ほど歩いたところに、手描き京友禅の工房兼アトリエがあります。
「ただ今制作中。ご自由にお入りください」と着物の形をした看板がかかる京町家の戸を開けると、玄関土間には囲炉裏と絵が展示され、和室には制作に使われる色とりどりの絵具や本、京友禅の着物が並んでいます。そこはまさに工房であり、ギャラリーであり、人と語らう場。この場所で、1998年から京友禅染織作家としてアトリエを主宰するのが南進一郎さんです。
17世紀後半、元禄時代に京都で生まれた友禅染。洒落た遊び心のある絵や模様が描かれた友禅染の着物は、当時の人々の心を掴み、京都、加賀、江戸で花開きました。友禅染の技法は、紙に描かれた図案をもとに、布地に柄を描く手描き友禅と、合成染料が生産されるようになった明治時代に開発された、くり返し使える型紙を使って染める型友禅と、大きく二つあります。
南さんは、高校卒業後に家業を継ぐ形で手描き京友禅の世界に入りました。
「親戚からも『親の家業を継ぐべきだ』という雰囲気もありましてね。京友禅の下絵を描いていた父の手伝いをしばらくするうちに、下絵だけでなく、友禅染全ての工程を知りたいと思うようになりました。一般的に、京友禅は15~18工程をそれぞれの職人が分業して作るため、一人の作家が下絵から仕上げまで行う江戸友禅を学ぼうと決めて、東京へ行きました。」
南さんは、3年ほど江戸友禅の師匠の元に住み込んで修行に励みました。昼夜問わず師匠とともに過ごした日々から、技術だけでなく染織家としての作品との向き合い方や、人との交流など生き方も学んだそうです。修行を終えて京都に戻り、再び友禅染の下絵を描く仕事についた後、30代後半で友禅染織家として独立。以来30年にわたって、お客さんから依頼を直接受けて着物を作っています。
着物を仕立てる時は、まず、生地を選び、色見本を見ながら色を決めます。同じ青にも濃淡が色々あり、時には絵具で実際に色を作り,お客さんとイメージする色を共有することもあるそうです。着物の柄やどのような場面で着るかなど、お客さんと話をしながら、着物をデザインしています。
「娘の成人式の記念に」「長年支えてくれた妻に着物を作りたい」など、着物を作るきっかけは様々です。「着物を作りたい」とアトリエを訪れた熊本在住の夫婦から、2016年に熊本地震が起きた後しばらくして「着物の制作をお願いします」と電話がありました。「着物どころではないのでは」と南さんが案じると、「むしろ、着物を作ることでなんとかがんばろうと前を向くことができるんです」と心の支えになっていることを聞きました。自分の作り出すものが、誰かの生きる希望になることを教えてもらった出来事でした。
京友禅と江戸友禅のどちらにも精通している南さん。「やっているのは京友禅ですが、好きなのは江戸ですね」と南さんは言います。宮中文化、公家文化中心の京都では、はんなりしたものが好まれます。多彩な色を使いつつも、上品で華やかなのが特徴です。一方、武士文化や町民文化の元で盛んになった江戸では、基本的に色合いがスッキリしているそうです。
また、写実的な絵柄が描かれる加賀友禅や江戸友禅に対して、京友禅は、文様化された柄を図案に用いることが多いのも特徴です。南さんは、独立前に勤めていたところで、平安時代から公家の衣装や調度品の装飾として使われてきた有職文様の柄やその意味を徹底的に教えてもらいました。
その経験は、対象物の本質を見極めながら、オリジナルの図案を創る時に活かされています。
紙に図案を描き、着物を仕立てる時は、「期待通りの作品ではなく、期待以上のものを作ろう」と心がけている南さん。師匠を始め、これまで教えてもらった先輩方の顔が浮かんでは「これでいいのか」「まだまだだろう」との声が聞こえてきそうで、打ちひしがれてしまいそうになる気持ちを向上心に変えて 「ほんまもん」の技術と、南さんにしか表現できない方法で、世界にただ一つの作品を生み出しています。
2014年から「京そめ塾」を開き、市民や観光客が手描き友禅を体験する機会を作っています。これまでにも、主に修学旅行生を対象とした型友禅の体験会は市内にありましたが、型よりも時間がかかる手描き友禅の体験はなく、「友禅染の魅力や京都を感じてもらえたらいいな」と始めました。
参加者は町家で友禅染を体験し、京都らしい一日にどっぷりと浸ることができます。南さんも、お客さんとの会話を楽しみ、「同じ柄でも、色の組み合わせによって全く違う作品になり、その人の個性が出るのが面白いです」と、国内外から訪れる人の反応が、南さんの創作活動への刺激にもなっているそうです。
今、南さんが心を込めて手がけているのが「夢雛-Yumebina-」です。
手描き友禅の技法を使って、絹に1/4サイズの着物を描いて染めた作品に対して、南さんは「雛(小さきもの)が夢を見た」という昔から使いたかった名前を付けました。元禄時代、遊郭や大奥、大名の妻たちの間で流行った「ひいな形」と呼ばれる着物を描いた小さな版画集にヒントを得て、南さんは、友禅着物の「ひいな形」を制作することにしたのです。
作品が増えるにつれて、南さんの作品を見て「個展をしたい」「本にしたい」という声が届くようになりました。江戸時代同様、着物を仕立てる時の見本帳としてだけでなく、額に入れてインテリアとして家に飾り、日本の美しさを感じてもらえたら、との思いで作っています。
令和3年(2021年)春、2階のスペースをリフォームし、色々な人が集えるサロンのような場ができました。「最近は、伝統工芸品に興味を持つ若い人が増えていると感じます。自由にこの場を訪れて『ほんまもん』を見て、触れて、彼らの感受性を高める場にしていきたいです」と南さんは語りました。
プロフィール
南進一郎 京友禅染織作家 京都西陣にて築150年の京町家にて、友禅染体験「京染め塾」を主宰。
創作着物アトリエ
〒602-8214 京都市上京区大宮通元誓願寺北之御門町575
京都市まちづくりアドバイザー
取材がきっかけとなって興味を持ち、後日、友人と金彩友禅体験をしました。布に筆を置いて色が広がる様子は,キャンバスに筆で描く感覚とは違っていて、自分の手や目で色の染まり具合を感じながら彩色する2時間は楽しくあっという間でした。